仕事と発達障害的側面

エリーさんのご指摘

自分の努力をけなす人が上司や先生や人事部

努力をけなす行為が愚かで間違っていることは明白でも、それが上記の人だと、確かに抗えない。心で笑ったところで何も解決しない。

人生において努力は強制ではないし、自分のペースでゆるりと生きることは一つの生き方です。

しかし仕事という点ではそうもいかないところが出てくる。

雇い主はある一定の仕事をしてくれることを期待し雇う。

雇われる側もある一定の仕事をこなすため、その一定に達しない時は努力せざるを得ない。

残念ながら就労契約という時点で努力は半ば強制となる。

そしてある一定の成果を出さないと、それを指導するのが上司の役目。そのこと自体は間違ってはいない。

なので

努力をけなす行為が間違っている

正当性を帯びた努力の強要

就労の現場では、半ば相反した命題が並び立つ形になってしまうことが避けられない。

これは矛盾した命題の並立なのか?

もう少し掘り下げて考える。

努力をしているのにその努力を否定したり、さらなる上乗せした努力を強要する。

それって極端な話、性格悪ければ誰でもできる行為

上司の仕事は努力の強制ではないのです。あくまで部下に結果を出してもらう、そのために指導することが仕事です。

有能な上司であれば、部下の努力を分析し、その努力をもっと効率の良いものに導いたり、無駄な努力を省いたり、結果の出ない部分を他のモノ人で補完するのです。

鼻で笑う、というのは無能な上司を笑うことです。

でも、部下ももちろん漫然としてていいわけではない。

なぜ結果が出ないのか。その過程を報告する義務がある。

自分はどのように仕事をしているのか。自分なりにどういう努力をしているのか。無能の烙印が押される場合、大抵は結果だけを見られてプロセスを見られていない場合が多い。

だってそのプロセスを見てない知らないから。

そしてではどうすれば改善できるか自分から相談することが非常に大事である。待っていれば勝手に指導してくれる、というのもやや甘いですね。上司は、先生は自分だけのものではないからね。

ここまで書けばお気付きの方もおられると思うが、何のことはない

ほうれんそう(報告連絡相談)

これを徹底するだけで結果はがらりと変わる。

ほんと、何のことはない、昔から言われている基礎中の基礎である。

発達障害的側面の人間が職場で苦労するのは、能力値の問題も大きいとは思うが、意外とこのほうれんそうができていないだけのことも多いんです。

コミュニケーションの微妙さから、報告の必要性がよくわからない。報告すべきことを報告せず、必要ないことを報告したり

連絡の必要性も同様。相談に至っては、そもそもうまく相談する技能が乏しい。誤解を生む相談の仕方をしたり

発達障害の就労支援というのは、制度がどうこう以前の問題で、ほうれんそう技術、しいてはコミュニケーションスキルの向上をサポートするシステム構築のほうが先じゃないかな。

いつか機会があれば、今の職場でのアスペ君が配属病棟が変わっただけでお荷物から戦力に変わった事例を話したいな。

ちなみに。

今後の話につながるけど、努力を続ける人生は苦しい。

私が職場を選ぶ点で最重視しているのは

今の私の能力値で十分事足りる職場

ですね。自分の能力で届かないものを求められる職場は、当然報酬も高く刺激的ではあってもきついですからね。

今の職場は少しだけ、自分の能力では足りません。

正直毎日苦しいですね。

就労と発達障害を絡めた話では、次回は仕事の能力値と実際にある仕事とのミスマッチについて話そうかな。